下鴨神社・上賀茂神社の斎王代以下女人列御禊の儀

斎王代以下女人列御禊の儀(斎王代御禊の儀)は、葵祭に先立ち行なわれる前儀で、斎王代と51名の女人らが身を清めるお祓いの神事です。下鴨神社と上賀茂神社が毎年5月4日に隔年交代で行います。(葵祭については後述)


下鴨神社では、境内の「御手洗池(みたらし池)」で、上賀茂神社では、境内の橋殿の下を流れる「御手洗川(みたらし川)」で行われます。


斎王代以下女人列御禊の儀の見所!

斎王代

斎王代は、十二単の上に白の小忌衣(おみごろも)を着用し、頭に心葉(こころば)という金枝に銀の梅花、日陰糸をつけ、手に檜扇を持っています。重さ約30キロ、着付けは2人がかりで3時間、値段は500万円以上といわれています。


女人列

女人列には、女童(めのわらわ)、命婦(みょうぶ)、女嬬(にょじゅ)、内侍(ないし)、女別当(おんなべっとう)、釆女(うぬめ)等が参列します。


御禊の儀

指先を合わせ、両手を浸して禊を行います。


斎王代以下女人列御禊の儀の歴史

平安時代から未婚の皇族女性(内親王)が斎王に選ばれ、天皇の代わりに神に仕えてきました。


斎王は、葵祭では鴨川の河原で御禊の儀を行ってきましたが、鎌倉時代の1212年(建暦2年)に35代に及んだ斎王の制度が廃止され、御禊の儀が途絶えてしまいます。


その後、1956年(昭和31年)に復活。この時から斎王に代わる「斎王代」が一般女性より選ばれ、下社、上社で御禊の儀が行われるようになりました。


下鴨神社の斎王代以下女人列御禊の儀

10時頃、雅楽とともに斎王代以下女人列が楼門をくぐり、御手洗池へと向かいます。

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祓詞が読まれ、お祓いが行われます。

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斎王代が女童4人と御手洗池の前に移動します。

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御手洗池に指先を合わせ、両手を浸して身を清めます。

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手を拭いた紙を御手洗池に流します。

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斎串(いぐし)を使ったお祓いを行ないます。

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胸に斎串を当て左・右とこすりつけ、一息拭きかけた後、2つに折ります。体に付いた穢れを斎串に移し、折る事で消滅させます。


上賀茂神社の斎王代以下女人列御禊の儀

10時頃、雅楽とともに斎王代以下女人列が一ノ鳥居をくぐり、橋殿へと向かいます。

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祓詞が読まれ、お祓いが行われます。

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斎王代が女童4人と御手洗川の前に移動します。

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御手洗川に指先を合わせ、両手を浸して身を清めます。

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橋殿に斎王代が戻り、※形代を使ってお祓いをします。※人の形をした直径10センチ程の紙。

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右手で持って左胸、右胸、中央の順に当て、一息吹きかけた後、御手洗川に流されます。


葵祭

1400年以上の歴史を持つ賀茂社(下鴨神社・上賀茂神社の総称)の例祭で、日本最古の祭です。平安時代において、たんに「祭」と言えば葵祭を指します。また、江戸時代までは「賀茂祭」と呼ばれていました。京都三大祭、三大勅祭の1つ。

宮中の儀・路頭の儀・社頭の儀の3つの儀式からなります。特に5月15日の路頭の儀が知られ、平安朝の優雅な装飾に身を包んだ総勢500名以上で行列を作り、御所から下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かいます。


葵祭の歴史

第29代欽明天皇(きんめいてんのう)の時、風雨激しく五穀が凶作だった事が賀茂神の祟りと考えられ、その祟りを鎮める為、天皇の勅使「卜部伊吉若日子」によって、4月の中酉の日に祭礼が執り行われました。その際、馬に鈴をかけ、人に猪頭を被せて駆競(かけくらべ)をして祈願すると風雨治まり五穀が実ったといわれています。

1502年(文亀2年)から約200年もの間、途絶えましたが、江戸時代の1694年(元禄7年)に祭が再興。その時、別雷神の正夢に母神が現れ、「我を祀るに葵を鬘(かずら)にせよ」と告げた事にちなんで、御所車や勅使、牛馬にいたるまで「葵」を飾りました。それ以降、「葵祭」と呼ばれるようになりました。

1872年(明治3年)に再び途絶えますが同年に岩倉具視の尽力で復活。また、第二次大戦中は中止となりましたが1946年(昭和21年)に復興。


下鴨神社への行き方

所在地:〒606-0807 京都府京都市左京区下鴨泉川町59

電話:075-781-0010


電車

京阪電車 鴨東線 出町柳駅 徒歩12分


上賀茂神社への行き方

所在地:〒603-8047 京都府京都市北区上賀茂本山339
電話:075-781-0011


電車

地下鉄 北大路駅 徒歩20分

地下鉄 北山駅 徒歩15分